理想を現実にする大人 ニキビの近道
バストが女性らしさのすべてではない。
といっても、やはりバストは、女性にとって大きな存在なのは間違いない。
悪性腫傷で乳房を切除した女性にとって、乳房形成術は非常にありがたいものだろう。
乳房切除術によってバストを失ってしまった人の胸には、乳房の部分切除術の場合を除き、乳輪さえない。
その代わりに傷は残る。
高齢でもボディーイメージに対しかなりのショックを受けるようだ。
乳房を取り戻したい方は、金銭的な理由や時間の余裕がなかったり、体力的な条件で手術を受けられない場合を除き、祷踏せずに乳房形成術を受ける選択をすればいいと思う。
また自分のバストに強いコンプレックスを持っている女性にとっては、輝く自分を得るために、手術で豊胸術を受け、コンプレックスを打破するのも一つの選択だろう。
ここで印象深い手術の話を一つ。
四十代で、やっと子供に手がかからなくなった。
それに今後、子供は作るつもりはないという女性が、バストの悩みで形成外科へやってきた。
「乳首が長いから短くしてほしい。
太い乳首を細くしてほしい」これが彼女の願いだった。
比較的小規模のバストクリニックや形成外科クリニックでは、そうした悩みを抱えた方々が多数来院するかもしれないが、大きな規模の病院では意外と少ないのだ。
「この乳首が恥ずかしい。
でも、こんな悩み家族にも友人にも相談できない。
形成外科に行くよりも、総合病院のほうが、誰かに見られたりしたとき、ごまかせそうだから来ました。
今からは自分のためにきれいになりたい」女性はそう言った。
そして彼女は乳首の手術を受けることになった。
要らない部分の乳首をハサミでパチンと簡単にはいかない。
また、粘土で作るように、ポンとできあがった乳頭を置くわけにもいかない。
乳輪はなるべくそのままの大きさで、乳頭だけ縮小するのは結構、神経を使うものなのだ。
形成術では、その仕上がりが自然であることに配慮し、かつ、万が一の場合に備え、乳管(母乳の出る道)への損傷もないほうがよい。
女性のシンボルであるだけに、慎重に丁寧に手術は行われた。
両方の乳首は完成した。
ここで集団入浴の思い出を二つほど。
友人が恥ずかしげに風呂に入ってきた。
私は入浴時、自分が見られると嫌なので、人のほうもあまり見ないようにしているのだが、そのときはガラガラと戸を開けた彼女が目に飛びこんできた。
完成したのはいいが、このままガーゼをぞんざいに、きれいにできあがった乳首の上に『ポンッ』とかぶせてしまうのだろうか?それは非常によくないよなぁ。
どうするのだろうそう思っていると、「nmの注射器を二本出して」とドクターは言い、そして、注射器の外筒を途中からパチンとカットして、乳首の上からかぶせたのであった。
う−ん、あるものを最大限に利用する創造力。
すばらしい。
どんな要求でも仕上げてしまう形成術。
女性にとって頼もしい。
あの女性は今、乳首にコンプレックスを持つことなく生き生きと生活しているだろうか?大手を振って、集団でも入浴しているだろうか?混浴の露天風呂に行ったとき、こんな夜中に誰も来ないだろうと女ばかりで星を見上げながら入浴していると、酔っ払い風のオッサンたちの声が聞こえてきた。
脱衣場だけは男女別々だったので、ヤバイ。
ヤバイョと慌てて脱衣場へ走ったのだった。
ところが、なかでいい気分になりウトウトしていた友人が、一人逃げ遅れてしまった。
慌てて風呂から出て、脱衣場へ走る友人。
ハャクハャクーと本人も周りもヤキモキドキドキしていた。
「あと一歩だ!」と思ったところでオッサンたちが入ってきた。
友人は慌てて走って足を滑らせスッテーン。
友人は、体をこするナイロンタオルをピローンと縦にして体に当てていたのだ。
恥ずかしくて何かで隠したい気持はよくわかるが、かなりスケスケ。
隠したつもりでも隠れていない。
「ねえ、それってかえってイヤラシイよ」私はそう忠告した。
やはりパアッと脱ぐよりも恥ずかしそうに隠すほうがイャラシイ。
色気が出るものなのだ。
転んじゃったよ−=前を隠していたタオルが宙を舞った。
そこで気の効く友人が、タイミングよく風呂場を照らしていたライトをパチンと落とした。
本当にすばらしいジャストタイミングだった。
いや−。
よかったよかった。
お嫁に行けないところだったよ。
尻を強打したのだろう。
必死に尻をさすり、痛みと感謝の涙を流しながら、「ありがとう。
ありがとう」と繰り返す友人。
転んだ彼女には悪いが、あの時はかなり笑った。
いや−、他人事でよかった。
見られたくない人に裸を見られそうになった場合、皆さんは顔を隠して逃げる?それとも体を隠して逃げる?コンプレックスを隠す?コンプレックスを見せる?何か勘違いしてるんじゃないか。
と思う人に遭遇することがある。
あの人、どこか勘違いしてるよなぁと思うことを人に話すと、やっぱり皆も同じような印象を持っていることが多い。
ひとくちに勘違いといっても様々あるが、たいていは、眉をしかめたくなったり、不曇愉快で、こちらがその場にいるのも恥ずかしくなり、鳥肌がたってしまうようなことが多いように思う。
しかし、勘違いしている人を実際に目の前にしても、首をかしげたり、笑うに笑えなかったり、もやもやした気分でいるだけで、なかなかその勘違いを指摘できない。
「それってどういうこと?あんた勘違いしてるよ。
このままいくとあんた、いつか大恥かいて笑い物になるよ」ある日、看護婦のHちゃんは手術についていると、ドクターに呼ばれた。
それも名前ではなく、指をパチンと鳴らして。
そう、ポール牧がやる指パッチンで呼ばれたというのだ。
え…、今のなんだろう?と首をかしげていると、やっぱりパチンと呼ばれたのは、そこにいたHちゃんだった。
「それまで、ああいうふうに呼ばれたことがなかったから、とてもびっくりした」心のなかではそう思っているのに……。
注意されることがないと、勘違いをしている人はそのまま暴走することになり、気がついたときには、時すでに遅しとなることだって考えられる。
忠告してくる人に対しては、一見嫌な印象を持ちがちだが、実は彼らは誠にありがたい存在なのだ。
自分自身が勘違いしていたら止めてほしいと思うのに、その逆だと注意もできないというのは、きっと私だけではないと思う。
ここで、最も印象深い勘違いな人々、およびその出来事を(私自身のケースも含め)いくつか紹介してみよう。
さあ、皆さんに共感できるエピソードはあるだろうか。
Hちゃんは述懐する。
そりゃぁ、指パッチンで呼ばれたことのある人なんて、ほとんどいないだろう。
「うそぉ」と私は疑ったが、「本当だってば。
信じられないだろうけど本当に…」Hちゃんはあくまでそう言い張る。
この指パッチンの話を聞いて間もなく、今度は私が、そのドクターと手術につくことになった。
スムーズに手術が終わり、そろそろ抜管の用意だなと思っていると、ドクターも同じことを考えていたらしい。
自分の近くに来るようにと私を呼んだ。
(ちなみに抜管とは、手術管理目的で、気管内に挿管していたチューブを抜くことである。
全身麻融引下で手術をするときには、必ず気管内楠管がなされる)そのときの呼び方は、両手をパンパンと二回叩くというものだった。
体 にきびです。体 にきびの安定性は十分です。
